岡野雅行選手 引退会見兼GM就任会見
1月16日(木)とりぎんバードスタジアムにおきまして、岡野雅行選手の引退会見兼GM就任会見を行いました。
■ 塚野真樹代表取締役 挨拶
「2009年途中からガイナーレ鳥取に加入してくれて、JFLからJ2への昇格、J2リーグで3シーズンの間、本当にチームの戦力として戦ってくれた岡野選手が現役引退し、ガイナーレ鳥取のGMに就任してくれることになりました。ジョホールバルでのW杯出場を決めるゴールをはじめ、本当に皆さんの記憶に残る名選手であったと思っています。昨シーズン、ガイナーレ鳥取は本当に残念な結果に終わり、新シーズンに向けて動かないといけない中で、岡野本人と話をして、降格をさせてしまった責任を感じており、このまま現役を続けることはできないと話を受けました。ここまで現役生活を続けられる選手も数名しかおりませんし、ピッチの上での彼の姿を見ると、本当に情熱的に楽しそうにプレーしていましたので、現役生活に対する未練もあったと思います。ただ、岡野本人のクラブを何とかしたいという強い気持ちを聞いて、J3降格から巻き返さなければならない状況の中で、GMとしてその想いでチームを再生してほしいとお願いをしました。
GMという役職はクラブにおいて役割は変わりますが、彼に伝えた内容は、プロ部門のトップとして、チーム強化、集客、広報PR、スポンサー獲得の責任者として責任をもって体を張って引き受けてほしいと伝え、すぐに返事をくれてGM就任してくれることになりました。
私自身も岡野雅行という選手のファンでしたので、たくさんの夢をありがとう、お疲れさまという思いです。そして、現実的に2014シーズンを戦っていかなければなりませんので、しっかりと仕事をしてほしいという思いです。サッカークラブでは、強く魅力的なチームになりカテゴリーが上がっていく夢(浪漫)の部分とクラブライセンス制度に代表される財務などの現実的な部分のバランスをとりながら発展させなければなりません。私はクラブ代表として現実的な部分を責任をもって取り組んで支えていきたいと思いますので、岡野GMにはガイナーレ鳥取の夢を担って、まずは2014シーズンのJ3リーグでしっかりと結果を残してほしいと期待しています。」
■ 岡野雅行選手 挨拶
「今日はお忙しい中お集まりいただきありがとうございます。この度、引退させていただくことになりました。20年間、本当に幸せなサッカー人生でしたし、無名だった自分を本当に皆さんがここまで育ててくれました。本当にありえない思いもたくさんできましたし、サッカーを通して色々な人と出会うことができて幸せ者だったと思います。Jリーグの関係者の皆様、今まで所属したチームの関係者の皆様に感謝の言葉しかないですし、思い残すことは何もないです。そして、僕の一番の味方であり支えてくれた家族、両親には本当に感謝しています。ありがとうございました。もう第二の人生が始まっていますので、自分らしく突っ走っていきたいと思います。ありがとうございました。」
■ 質疑応答
Q. 引退を決断した経緯について、ガイナーレ鳥取がJ2残留していれば続けたかったのかという点も含めて最終的にどう決断したのか?
「もちろん現役を続けたいという思いも強かったですが、自分はJ2昇格のためにこのチームに来ました。実際に上がって良かったと思っていたらJ2も降格というルールができて、何とか粘っていましたが、降格した時には引退させていただきますと社長とは約束していました。J2残留していてもチームに残れるかは僕が決めることではないので、どうなっていたか分かりません。もちろん、現役をやりたいという思いもありましたが、降格させてしまったのは自分の責任もありますので、責任をとって辞めさせていただきました。」
Q. 色々な思い出が現役時代あると思うが、あえて1つあげるとすれば、何が一番の思い出か。
「日本代表でのジョホールバルでのゴールです。今でも思い出すと怖いですけど、あのピッチに立てたことが嬉しかったですし、あの経験をさせていただいたことはありがたく思っています。本当に日本には帰れないと思っていましたし、試合中は本当に恐怖でした。ゴールの瞬間は頭が真っ白で、嬉しいというよりほっとしたという感じで、初めてサッカーを辞めたいと思いました。日の丸の重みを感じました。」
Q. ガイナーレ鳥取に所属していた期間の中で、一番記憶に残る試合や出来事は何か。
「やっぱりJ2に上がった試合が嬉しかったですし、それが目標だったので、それを達成したときはジョホールバルと同じぐらい嬉しかったです。社長がずっと描いていたJリーグに行くという夢を母体のないクラブが本当にできるのか心配していましたが、本当に上がれたというのはすごいなと思いました。」
Q. ガイナーレ鳥取に伝えたかった事、伝えられた事はどのようなことか。
「プロ選手としてこうあるべきだというのは伝えきれなかったと思います。今度は、GMとして伝えていかなければいけないですし、一人一人が上を目指してほしいと思います。今の状況で良いと思うのはプロじゃないと思います。僕も初めてプロになったときは、すごい人達がたくさんいて、その人達にどれだけ追いつけるかという気持ちで日々努力しましたし、そういう気持ちをもってほしいと思います。上にいけば、もっと良い思いができるので、自分でのし上がってほしいと思います。」
Q. 自身のプレー面で引退を決めた要因はあったのか。
「肉離れは30歳を過ぎて初めてしましたが、治りは遅くなりましたし、夏場の練習はすごくキツかったですが、試合にそんなに出場していないので、そこの判断は難しいです。体力的には昔より落ちてはいますし、スピードも昔よりは落ちているのは感じていましたけど、特にプレー面ではなかったです。」
Q. 現役に未練はないか。
「辞めると決めたので今は未練はないです。今日、引退会見ですが、急にGMになったので引退した感じもなく、未練はまったくないです。」
Q. GMとしてガイナーレ鳥取のどこを一番変えたいと思っているか。
「昨シーズンは勝ちがない状態が続きましたが、勝ちにこだわらないといけないと思います。たくさんありますが、プレーヤーとしての責任感をもってもらいたいと思っています。色々な環境や状況があるとは思いますが、結局は試合をするのは選手で、試合に出た以上は結果にこだわらないといけない。試合に負けたから、今こういう状況になっているということを選手たちが考えないと、絶対に強くならないと思う。どれだけ周りが応援していただいても、現場でプレーする選手たちが負けてしまったら無駄になってしまうので、そこの責任感をもってやってもらいたいと思っています。」
Q. GMとして、どのように選手たちに働きかけていきたいか。
「選手の時は、自分も試合に出たいので選手同士はライバルだと思ってやっていましたが、今度は選手をサポートしていく役割になるので、選手が試合だけに集中できる環境を作っていきたいと思っています。」
Q. 引退後すぐにGM就任というのは、前例がないと思うが、どのような気持ちで挑戦を決めたか。
「まさか、GMという職を言われるとは思わなかったので、最初はできませんという返事をしましたが、社長から現場を強くしてという想いが強かったので、それなら細かい事はすぐにはできませんが、僕らしく動きまわってチームに良い物をもってくることができるように頑張っていきたいと思いますし、特に営業を今は頑張ってやっています。」
Q. 今まではユニフォームを着て活動していたが、今後はスーツを着ての活動になるが。
「これからはスーツがユニフォームになりますので、先日、買い物に出かけた時は買うものが大きく変わりましたね。スポンサーの方々に会う機会も多いので、やはり相応しい服装が必要だと思いますので。」
Q. ガイナーレ鳥取で4年間プレーして、岡野さん自身が感じたものは。
「はじめてとりぎんバードスタジムに来て感じたのは、鳥取県という小さな県ですけど、本当にたくさんの方が応援してくれるし、一体感をすごく感じたので、試合を見た時にここでプレーしたいと素直に思いました。」
Q. GMとして今後の目標は。
「目標は、単純に1年でJ2に上がるということです。そのためにも、チームのために戦ってくれる選手にやってもらいたいと思っています。勝てば信頼を取り戻せると思いますし、勝つためには皆さんの応援が必要になってくるとは思いますが、まずは現場が勝てば恩返しにもなると思うので、そこだけです。」
Q. 今後、指導者を目指すということも考えているか。
「指導者もやってみたいんですけど、C級ライセンスしかもっていないので、時間がかかるんですけど、サッカーに携わる仕事をずっとしていきたいと思っています。」
Q. 「野人」という愛称がつけられるなど、記憶に残る選手だが、岡野さん自身はどのようなことを大事にしてプレーしてきたか。
「責任感をもってやらないといけない思ってやってきました。みんなが僕のファンじゃなくても、一人でも応援してくれる人がいるなら、その人のためにも頑張ろうという思いでやってました。「野人」と愛称がつきましたが、「野人っぽく」というのを意識してやってました。僕はスピードが武器だったので、そこだけは追求してやっていたつもりです。」
Q. 20年間の中で鳥取での4年間はどのような位置づけか。
「新しいチームにくると、それぞれのカラーがありますが、J2に上がった時は本当に来て良かったと思いましたし、サポーターの方が喜んでくれた姿は印象的です。僕のサッカー人生の中でも非常に特別なありがたい場所、新しく勉強させてもらった場所だと思います。」
Q. サッカー観は20年間の中で変わってきたか。
「サッカー観は大きく変わりましたね。若い頃は目立たないといけないと思いましたし、30歳になった時に浦和レッズに戻ってJ1優勝したんですけど、あの時はチームで一番年上だったので、自然にチームのために後輩に教えたり、ご飯に連れて行ったりと違う視点でサッカーが面白くなってきました。どんどん年をとっていくと、色々と違うものが見えてきてサッカーの面白さもわかるようになりましたね。」
Q. 浦和レッズのサポーターの方々に伝えたいこと。
「たくさんありすぎて。本当に僕みたいな無名な選手が浦和レッズに入って、あの声援の中でやらしてもらったというのは絶対に宝物です。僕が走ったら会場がワーッとなるのは聞こえていましたし、なんで止まれなくなってしまうというか、ずっと走らないといけないなと思っていました。あそこでプレーできたから、日本代表にも選ばれたと思いますし、本当に感謝の言葉しかありません。また、ちゃんとお礼を言いに行きたいと思っています。」
Q. 引退を決めるにあたって、昔代表で一緒に戦った仲間への報告は。
「しました。名波や服部、森島とかあの時のワールドカップのメンバーには電話しました。みんな「やっと?」「まだやってたの?」って言ってました。(三浦)カズさんには、たまたまお会いした時に報告させていただきました。」
Q. 日本代表を初めてワールドカップに導いた岡野選手から見て、現在の日本代表はどう感じるか。
「すごい強くなりましたし、世界でやっている選手が多くいるので、(W杯では)決勝までとは言わないですけど、準決勝くらいまでは勝ち抜いてほしいと思っています。勝てると思います。」