クラブ沿革

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年代
年代
1983年
鳥取県サッカーリーグ2部 (5チーム) 4勝 1位

ガイナーレ鳥取の前身『鳥取教員団』の誕生

ガイナーレ鳥取は、鳥取県内の教職員で構成されたサッカーチーム『鳥取教員団』としてその歴史をスタートさせました。今現在も、県内でサッカーの指導者的立場で活躍されている先生たちの若かりし頃、「鳥取県を代表して全国相手に戦う」チームとして産声をあげたのです。
1984年
鳥取県サッカーリーグ (6チーム) 3勝2分 3位
1985年
鳥取県サッカーリーグ (6チーム) 5勝 1位
1986年
鳥取県サッカーリーグ (5チーム) 7勝1敗 1位

山梨国体で堂々の優勝!

1986年開催の山梨国体。『鳥取教員団』が主力となって活躍し見事に優勝。その当時は大きな話題となりました。
1987年
中国サッカーリーグ (7チーム) 2勝1分9敗 6位
1988年
中国サッカーリーグ (9チーム) 5勝3分8敗 7位
1989年
鳥取県サッカーリーグ (6チーム) 9勝1敗 1位

チーム名称を変更、『SC鳥取』に

教員に限らず開かれたチームとなるべく、名称を『SC鳥取』と変更。その名称には「鳥取県を代表して全国相手に戦う」「県内選手の力を合わせて全国に立ち向かう」という理念が受け継がれました。設立当初からの活動拠点だった鳥取県・米子市在住メンバーを中心としつつも、県中部・東部からも好選手が集まり、切磋琢磨をつづけました。
1990年
鳥取県サッカーリーグ (6チーム) 6勝2分 2位
1991年
中国サッカーリーグ (8チーム) 2勝2分11敗 8位
1992年
中国サッカーリーグ (8チーム) 4勝4分6敗 5位
1993年
中国サッカーリーグ (8チーム) 3勝3分8敗 7位
1994年
中国サッカーリーグ (8チーム) 4勝4分6敗 7位
1995年
鳥取県サッカーリーグ (6チーム) 6勝2敗 1位
1996年
鳥取県サッカーリーグ (6チーム) 7勝2分1敗 1位
1997年
鳥取県サッカーリーグ (6チーム) 10勝 1位
1998年
中国サッカーリーグ (8チーム) 2勝12敗 8位
1999年
中国サッカーリーグ (8チーム) 5勝9敗 6位
2000年
中国サッカーリーグ (8チーム) 11勝3敗 1位

低迷からの復活---JFLに昇格!

OBの指導を受けた地元選手達が大活躍した中国リーグ。中国地区の強豪実業団チームを次々と撃破し、山陰勢として初の優勝に輝きました。その勢いを駆って臨んだJFL日本フットボールリーグ参入決定戦でも全国の強豪実業団チームを連破し、見事JFL昇格権利を獲得しました。しかし、この快挙の影でチームには数千万円にのぼる年間活動資金問題が浮上。メンバーによる討議の末、「鳥取県を代表して全国相手に戦う」理念のもとに JFLの舞台に挑戦することを決定。この時、幅広く地域の支援を獲得するべく「地域に根ざし愛されるクラブチーム」という新たな理念が加えられました。
2001年
日本フットボールリーグ (16チーム) 2勝2分26敗 16位

いよいよJFL参戦!

JFL 初年度の活動は試合成績では最下位ながらNPO法人やまつみスポーツクラブの運営サポートを先導に、物心両面の幅広い支援が地域市民・地元企業・自治体などから寄せられました。また、数字としても観客動員数第2位となるなど、必死となったチーム活動に地元の大きな反響が得られたと同時に、全国的にも話題を呼び、「地域発全国へ」の大きなうねりが産み出されました。
2002年
日本フットボールリーグ (18チーム) 4勝3分10敗 13位

チーム大躍進! 全国レベルを証明

入替降格制度が導入され、早くから成績面が危惧されていました。JFL残留争いが話題となった1年で、最終的に18チーム中13位の成績を収め、名実共に全国レベルのチーム活動であることを証明しました。
2003年
日本フットボールリーグ (16チーム) 10勝7分13敗 10位

チーム愛称決定! その名は『ガイナーレ』

新加入選手が大幅に入団、フレッシュな顔ぶれから「新生SC鳥取」と呼ばれ、チーム愛称も「GAINARE(ガイナーレ)」に決定。チームは5連勝7試合負けなしという快進撃を演じ、一時は6位につける大躍進。最終的には10位となったものの残留争いを演じた前年に比べ確実にチーム力UPをとげ、大きな飛躍を見せました。
2004年
日本フットボールリーグ (16チーム) 5勝7分18敗 14位

JFLで戦う苦しさを実感

この年、徳島ヴォルティス・ザスパ草津のJクラブ昇格が決定。JFLは史上最高となる観客動員数を記録。対外的に注目度が上がる中、各チームの強化体制もレベルアップ。シビアな競争の度合いが増したJFLで、SC鳥取は9連敗を喫するなど常に残留争いという苦しい苦しいシーズンを送りました。最終的には終盤のホームでの連勝で残留を果たしたものの、更なるチーム力や運営組織の強化の必要性を痛感させられたシーズンとなりました。
2005年
日本フットボールリーグ (16チーム) 9勝6分15敗 12位

新たな決意を胸に新体制スタート

16名の新加入選手、吉川新監督を迎えてのチーム体制でスタートした2005年シーズン。シーズン目標に『JFL8位』『天皇杯3回戦突破』『JFL総観客数リーグ1位』を掲げ、JFL昇格後最高のリーグ6連勝を飾る活躍もありましたが、いずれの目標も達成することはできませんでした。しかし試合だけでなく、やまつみスポーツクラブとの協働による青少年年育成プログラム『復活!公園遊び』を通して子供達や地域との触れ合いの機会が増え、地域とのつながりという意味で大きな自信を得た1年となりました。
2006年
日本フットボールリーグ (18チーム) 7勝15分12敗 11位

Jリーグ参入へ 覚悟の年

2008年Jリーグ参入に向けた準備の1年目。新監督に2005年選手として活躍した木下桂氏を迎え、ヴィッセル神戸(当時JFL)選手時代のJリーグ参入争いでの経験とその後のアメリカでのプロ選手/コーチの経験を生かした采配が光りました。選手は2005年シーズンの主力がほぼ全員残り、その選手たちのポジションを脅かす競争相手としてJリーグ経験者を含め5人の新加入選手が加わりました。開幕からリーグ上位の相手に退けを取らない戦いの数々。結果としては引き分けが多く思うように上位に上がることはできませんでしたが、着実に力をつけてきていると実感させる1年となりました。非常に厳しい環境の中でもモチベーションを落とすことなく1年間を戦い抜き、得点数ではリーグで6位という成績を修めたものの、失点の多さに関しては改善が必要と思わせるシーズンとなりました。
2007年
日本フットボールリーグ (18チーム) 10勝9分15敗 14位

ガイナーレ鳥取へ

2006年12月。株式会社SC鳥取を設立。選手をアマチュアからプロ化し、チーム名はガイナーレ鳥取へ。監督には松下電器時代に天皇杯制覇などの経験を持つ水口氏が就任。ヘッドコーチには水口氏と共にコーチの経験を持つヴィタヤ・ラオハクル氏が就任しました。チームもJリーグ経験者を数名補強してシーズンを迎えましたが、開幕戦からアウェイでつまずくと5試合勝ち星無し。波に乗れないまま8月には水口監督が成績不振により辞任。ヘッドコーチのヴィタヤ氏が監督へ就任し、チームを立て直すも最終的には14位でシーズンを終えました。シーズン途中での監督交代もあり、チーム方針が定まらず成績不振に陥り、シーズン中にもチームとしての詰めの甘さが見られるなど課題を残しました。
2008年
日本フットボールリーグ (18チーム) 17勝6分11敗 5位

最後までもつれた昇格争い

チームの拠点を今までの米子市から練習環境の整った鳥取市へ移動。選手補強も日本代表経験のある選手の加入など過去最大の補強を行いヴィタヤ監督の下、シーズンに挑みました。チーム史上初の開幕戦勝利をあげ、続けて2連勝し、勢いに乗るかと思われましたがそこからの3連敗で順位を9位まで落とします。勝ちきれない試合が続くも、前期終盤は立て直し、前期を5位で終えました。後期は連勝はするが大事なところで勝ちきれず、昇格争いは最終節へ。アウェイ龍ヶ崎で敗れ最終順位を5位で終えました。この年から行政・経済界の勇志により「ガイナーレ鳥取応援団」が設立され、鳥取県全体で募金活動を展開し、県内での認知を広めました。
2009年
日本フットボールリーグ (18チーム) 16勝8分10敗 5位
監督:ヴィタヤ・ラオハクル
スローガン:「強小元年」

強小元年

チームのキャッチフレーズを「強小元年」として、望んだシーズン。2008年より選手数を減らし、量より質のチームづくりを行いました。ヴィタヤ監督のサッカーも少しずつチームに浸透し始め、ポゼッションを基本としたサイド攻撃が機能し始めます。開幕から3連勝を飾ると首位へ。前期14節までは首位をキープし続けました。しかし、その後の4連敗からはリズムを崩し5位まで転落。安定して勝ち星を挙げられない時期が続き、最終順位は5位と昇格を逃しました。ガイナーレ鳥取応援団もユニホームの背中に「ガンバロウ鳥取」を掲出するユニホームスポンサープロジェクトを実施。1000万円以上の寄付金を集めました。また、ホームゲーム来場者数もリーグ1位を記録し、GGC会員数も6,000名を突破しました。
2010年
日本フットボールリーグ (18チーム) 24勝5分5敗 1位
監督:松田岳夫
スローガン:「強小弐年 闘士」

JFL制覇そしてJへ

強小弐年はキャッチフレーズを「闘士」とし、スタートしました。昨シーズンに足りなかった「経験」をプラスするため、GK・DF・MFの各ポジションに経験のある選手を補強しました。しかし、タイへ帰国中のヴィタヤ監督が交通事故により大怪我を負ってしまいます。怪我の状況などから来日は難しいという本人の判断から監督を辞任。急きょ指揮をとることになった松田岳夫監督が2月のキャンプから合流し、時間がない中でチームをまとめていきます。

迎えた開幕戦。とりぎんバードスタジアムには4,523名のサポーターが詰めかけました。その中で3-0で勝利し勢いにのり、前期14節まで10勝4分でスタートダッシュに成功します。そのまま前期を首位で折り返すと、後期もその勢いは止まらず、優勝という目標に向けて突き進みます。9月18日に行われたSAGAWA SHIGA FCとの天王山では「ガイナーレ鳥取応援団」が1万人動員プロジェクトを実施し、ガイナーレ史上最高来場者数となる9,499名のサポーターがスタジアムに集結。試合も3-1で完勝し、鳥取県の底力を見せつけた結果となりました。その後も首位を走り続け、10月3日のアルテ高崎戦に勝利し、昇格条件の4位以内を確定。10月24日米子での栃木ウーヴァFC戦でリーグ初優勝を決めました。そしてJFL最終戦翌日、11月29日にJリーグ臨時理事会にてJリーグ入会が正式決定しました。

その他、8月には鳥取県西部の拠点となるスタジアム建設を主な目的とした「YAJIN続々!プロジェクト」も始動。市民参加型のスタジアム建設により、育成年代にとって街の晴れ舞台となることを目指しています。
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